奥出雲町に残る、歴史ある神社へ。
はじめまして!町外ライターのさとみんです。
わたしは地図を見るのが好きです。あと、神話もまあまあ好きです。詳しくはないです。
そんなこんなで、DEEP過ぎる神話の地 奥出雲の更なるディープスポットを探して、地図を眺めていたところ、気になる神社が目に飛び込んできたので、行って来ました~!
その名は『建御名方神社(たけみなかたじんじゃ)』
奥出雲町鴨倉にあります。
近くに要害山三沢城跡があり、棚田を見渡せる美しい場所です。
4月のある日、行ってみると偶然春祭りの真っ最中で神主さんと、地元の方に出迎えていただき、いろいろなお話を聞くことができました。おみやげにお餅もいただきましたありがとうございます!
普段は誰もいらっしゃらないようなのでとっても運がいい!!
建御名方神社はもともとは奥出雲の武将 三沢氏によって諏訪大社から勧請され要害山にあったそうだが、江戸時代くらいに今の場所に移されたと教えてもらいました。
※勧請・・・神仏の分霊を他の場所に移しまつること
神社にはムクロジというたいへんな太さの幹の御神木がありました。樹齢は不明だけど何百年も静かに土地を見守る風格がすごい。。。
みなさまご存知でしょうか。
タケミナカタという神様のことを。古事記の国譲りのシーンにオオクニヌシの息子として登場する神様です。
アマテラスに派遣された天津神最強の武神タケミカヅチに国を譲れと迫られた時に最後まで抵抗したのが、タケミナカタなのです。
タケミナカタも国津神のなかでも最強と名高い神。タケミカヅチに力競べを挑みます。
(この時の力競べが 相撲の起源なんだそうな~)
しかし、力及ばず勝負に敗れ、今の長野県の諏訪湖まで逃走。
この時に、この地から出ないこと、国を譲ることを誓ったのでした。
私はこのお話をよんで、不遇でかわいそう。。地元にも帰れないし。。と思いました。
タケミナカタは日本三大軍神なんだそうです。
諏訪大社で諏訪明神とされ、戦国武将によって崇敬を集め、武田信玄も信仰していたそうな。
勝負に負けてしまった神が軍神として崇められるのはなんでだろうか。
タケミカヅチが圧倒的パワーで国譲りを迫ってきたときに、父と兄はあきらめたのに、たった一人で立ち向かい、巨大な権力に挑んでいきました。男気あふれる神なのです。
きっと戦国武将たちはタケミナカタから勇気をもらったんだ。。と勝手に想像してしまいます。
山陰にはタケミナカタを祭神とする神社が各地にあります。
中世に武神として、故郷に里帰りできたのですね。
古代の日本の民族と文化の対立に想いを馳せた1日でした!