奥出雲町に移住したきっかけと、その後
はじめまして、マリアです。
今まで千葉県から出たこともないのに2020年の2月に、島根県の奥出雲町に越してきました。
Iターンで、地域おこし協力隊としてJR木次線のPR活動を、出雲横田駅前の出雲横田観光案内所を
拠点として4月から活動しています。
そもそも、なんで奥出雲に引っ越したの?
と、数えきれないほど聞かれます。
いろんなことが重なって、島根に移住したのですが、
先ず、関東圏に陰りが見え始め、
「経済も環境も、ひとくくりする時期になってきた」
このことを感じたからでした。
また、『超~』を、更に超える満員電車や、コンクリートジャングルの中で活動することが心身共に、しんどくなってきたんです。
先ず、人と人とが行き交う街で人口が多すぎるので、ぶつかったり、行列ができて並んだり。
満員電車では、知らない人の心臓の鼓動が背中から響いてきたり。
密集してるのに更に密集する電車に乗るのが嫌になってきていました。
また、移動する時間帯を気にすることも、
私にとっては良いことだとは思えませんでした。
自由じゃなく時間で管理されて鉄の乗り物に時間を合わせる感覚が、どうも好きになれませんでした。
もともと千葉の田舎に生まれまして田舎育ちなんです。
学生時代は朝のバスを逃したら、次は昼までバスが来ないような、ものすごい田舎に住んでました。
当時は、電車にあこがれていました。
「いいな~電車だったらもっと、いろんなところに行けるのに」って。
そんな田舎育ちの下地があったこともあり、
関東圏、東京エリア付近での活動がしんどくなってきていました。
先ず、呼吸が苦しく感じて、息が深く吸えてないというか、息苦しいのです。
目に入る世界は、高層な建物と、お店と人、人、人。
もう、山の中に引っ込みたいと強く感じてきたのは2019年でした。
島根県は出雲大社が好きで何回か来ていました。
「住むなら島根がいいな」
と、思っていましたが、鳥取の蒜山、大山、出雲大社付近も、
行ってみましたがしっくり来ず、そのとき開いた地図だったと思います、
「奥出雲」という名前を見て、もう、ここにしよう!
そう決めました。
『お伺いの電話から移住へ』
そうと決まれば聞いてみましょう~。
と、思い立ちまして、
奥出雲町のまち・ひと・しごとセンター奥サポさんに電話したのが、
奥出雲町へ移住する第一歩、始まりです。
電話越し担当の方が温かくて、丁寧で優しい対応に感動して、
「なんて素敵なところなのだろうか」
土地が育む、それこそ奥に走る、あたたかくて純粋な、自然なる世界をこの時、感じました。
そこからトントン拍子で、お試し奥出雲企画で1度伺いまして、住居まですんなり整えていただき今に至ります。
担当して関わってくださった方々には、感謝しかございません。
本当にありがとうございます!
『奥出雲町で暮らしてみて』
移住して、半年が過ぎます。
分からないことだらけではありましたが、
JR木次線のPR活動が始まったこともあり、
徐々に地域の方に触れ合うことが、できてきました。
特に食べ物は最高に美味しくって、仁多米や豆腐、お蕎麦、旬のお野菜を毎日食べれる幸せに浸っております。
もちろん空気も絶品です!
鳥が低く飛び、ホタルが舞って、カエルの合唱、蝉の鳴き声に心が綺麗になっていくのを感じます。
清かな風が吹き、360度見渡しても、高層ビルは見当たらず、雄大な山々が、
まるで護ってくれているかのような山間の気色が、毎日続くってこと、なにより幸せでなりません。
1日がゆっくり過ぎていくような感覚は関東圏ではなかなか味わえないと思います。
言葉と言葉を介してのふれあいが、
近隣の方にもてていることにも感謝しています。
まだまだ移住して半年ですが、
御心温かい方々が声をかけくださり、
若かりし頃の憧れであった電車(気動車)の駅の前で活動できること。感謝しかございません。
毎日が、潤いと柔らかさに包まれて、奥出雲ならではの生き方に満足たっぷりです。