そば職人
~あたりまえのことを、
あたりまえにする職人でありたい~
二澤亮太(りょうた)さん Uターン
【プロフィール】
二澤亮太(にざわ りょうた)さん
広島県生まれ。親の転勤で小学2年生から奥出雲町横田へ移住
年齢 37歳
職業 古民家暖々(だんだん)のそば打ち職人
※古民家暖々は奥出雲町下横田157番地
国道314号線より500m程山よりの静かな場所で営業中
営業時間は11:00~14:00
◆今の事業をスタートするきっかけ◆
ちょうど仕事を辞めてフリーの時期があり、たまたま知り合いの方から「そば打ち、してみないか?」と誘われたんです。
それまで、飲食関係の仕事をしていたんですけど、「そば打ちなんてしたことないけど、面白そうだな」と思い、さっそくチャレンジしてみることにしたんです。
ここ古民家暖々を活用され始めたときには、「田舎ツーリズム」の取り組みをしていて、地域の子どもたちに自然とふれあう体験をさせていたんです。農業体験やら宿泊などなど。
そういった活動をされていたところから方向転換し、そば屋を開業されました。僕は、此処「古民家暖々」の開店当初から二年間修行させてもらいました。
そして、その後、「古民家暖々」を事業承継し独立。
独立してから今年で6年目になります。実際にやり始めてみて、とんでもない職種を選んだな…とも思いました。(笑)
「そもそも、そばの知識がない」「もっと楽に儲かると思っていた」というのが正直なところです。
やりはじめたときは、「儲かるかな?まあ、できるかぎりのことをやってみよう!」と思って必死でそばを打ちました。
一日150食くらいは打ちましたかね…。アルバイトも雇って、お客さんの回転をよくして…。
(※店内に飾られた古美術品の数々が印象的です)
ずいぶんさかのぼるんですが、ワーキングホリデーを一年くらいしていた時があるんです。その時、ホームステイ先の食事がめちゃめちゃひどかったんですよ。受け入れてくれたホームステイ先が貧乏というわけではなく。
家族は高級な食材で豪華な食事をしているのですが、
僕だけかなりひどい食事の内容で、、、
もうメンタルやられそうなくらいつらかったですね(苦笑)
そこからです、僕のご飯の食べ方が変わったのは。
「ごはん(食事)って大事だな」って思うようになったんです。
飲食業って、いくらでも手を抜こうと思うと思えば手が抜けるんですよね。
だから、「儲かるそば屋」を目指すと、どこかで手を抜く自分がいる…。
今でも「手打ちそば」が残り続けているには、ちゃんと理由があって…打ち手によって味が違うんです。
僕は、器用じゃないから一つのことしかできない。
そして、
中途半端が嫌い。
だから、一人一人のお客さんに100%の準備をして「おもてなし」をしようと思うと、提供する食数はかなり少なくなります。
食べに来られるお客さんは、そこまで求めていないかもしれない。
それよりも、自分が食べたいと思う「天ぷらそば」や「そば定食」を、早く食べたい・提供してほしい…と思っているかもしれない。
それでも、僕は手を抜くことなく、あたりまえのことをあたりまえにできる職人でありたい!と強く思っています。それはやはり「食」へのこだわりの強さかもしれません。
◆これからのこと…
いつか…海外で出店したいと思っています。
そこで「そば屋をしたい」というわけではなく、日本食全般を提供するお店。
シンプルで、普通の家庭で食べているような料理を、かっこつけずに食べれる…まるで家でごはんを食べているかのようなお店…。
そして…
できればオランダへ…
いけたらいいなあと思っています。
横田の岩屋寺の仁王像もオランダで待っているので…。
いつかは、そこへ行ってみたい…。
それが今の「夢」ですね。